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9月, 2016の投稿を表示しています

守宮(ヤモリ)君登場~深夜にそっとひそやかに

守宮と書いてヤモリと読む。 最近、我が家に居ついていたヤモリがどうやら子供を産んでファミリーとなったらしい。 深夜、ときに窓ガラスに張り付いていたり、突然、家の中にもその姿を現したりするようになった。 井守(イモリ)は、腹が赤いまだら模様で、ヤモリは大人になると黒みがかった灰色の背中となるが、子供のうちは黒みが強いのでその違いは明らかだ。 だから、この子はヤモリの子供だろう。 深夜に、ふと机の後ろを振り返ると、何とこんな場所にまで現れた。カーテンに張り付いていたのだ。 とりわけ悪さをするわけでもないし、夜の電球の明かりに誘われて集まる昆虫類を食べてもくれるから、それなりに役にも立ってくれてもいる。 まあ、突然そこに現れると、一瞬はびっくりもすることもあるが、それは私自身の心の動きで、ヤモリに罪はない。 守宮というよりは、私は「家守」と考えて見守っている。数年前から姿を見せ始めた親のヤモリは、もう10cmほどに成長しているが、この子はまだその半分くらいの大きさだ。 山の暮らしをしていると、本当にいろんな生き物が身近に現れてくれる。

9月の競馬から

たまには競馬の話題に触れておこうかと、そう考えた。 触れたくなる理由に気づいたからだ。 札幌、新潟、小倉のローカル競馬から、9月10日に中山、阪神の中央場所に戻ったのだが、それからがこれまでになく特徴的な様相を示し始めたのである。 毎週日曜のメインレースは、秋のG1戦の前哨戦となる重賞が続いていく。中央場所に戻ったここ3週の勝ち馬が、すべて1番人気の強いと目される馬たちだったのだ。 9月11日 中山  京王杯オータムH   ロードクエスト    (池添謙一)        阪神  セントウルS      ビッグアーサー   (福永祐一) 9月18日 中山  セントライト記念    ディーマジェスティ (蛯名正義)        阪神  ローズS         シンハライト (池添謙一) 9月25日 中山  オールカマー     ゴールドアクター  (吉田隼人)       阪神   神戸新聞杯      サトノダイヤモンド (C.ルメール) 勝てば、やっぱりなとか、まあしょうがないな、なるほどと、ファンも納得の結果だった。 着差はともかく1番人気の権威は保たれ続けたのである。 たまたまの結果なのか、それとも凱旋門賞の日本バァージョン馬券が今年初めて売られることになったから、競馬は訳が分からないものではなく、強い馬が強く勝つものなんですよ、面白いものなんですよと、レース結果で新しい時代の到来を煽ってくれているのだろうかなどと、逆に猜疑心に駆られてしまうような感じであるのだが・・・。 でも信頼できる1番人気の馬という存在は、長く続ける私のような者には、実は心強い友であるのは間違いない。安心できれば、あれこれ推理に悩む労力も半減できるというものだからだ。 さてさて、こんな状況もいつまで続くやらと、つい深読みしてしまうのが、まだまだ人間ができていない証拠かもしれない。 続くことを期待しているのだが・・・。どうだろう?

ランチュウの成長2か月経過~金魚を飼おうか③

      金魚を飼い始めて2か月経過。 この夏は、9月になった今も、雨が多くてランチュウの飼育には困った状態が続いた。 8月の間は外で飼っていたのだが、山暮らしでは1日の気温差が大きく、それでなくても体力が消耗しているのに、そこにしとしとと雨が続くと、ランチュウは、すぐに尾ヒレの辺りの両わき腹に、血が滲んだような赤い模様が広がってきた。これは体力低下の病気一歩手前の症状で、すぐに2%ほどの塩水の別桶に入れてみると、2・3日で赤い模様は消えていく。 でもこれを繰り返す間に、5匹いたうちの2匹が死んでしまい、9月になっても雨が続くので、結局、今は気温差の少ない室内に移して いる。これで赤い模様が出ることはなくなった。もっと早くに室内に移してやれば、死んだ2匹もおそらくは何とか生き抜いたのだろう。 そう思うと少し悔しい。 ランチュウ飼育は、本当に乳飲み子を育てるように手がかかるものだと改めて知った。でもだんだんと腹回りが太くなってきて、愛らしい頭部の肉瘤も大きくなってくると、乳飲み子とはいっても、まるで相撲取りかお伽話の金太郎を育てているようで、手間はかかるが面白いのだ。 オランダ獅子頭の方はというと、背びれがあるだけ丈夫なのか、外で飼っていても十分に気温差にも耐えて順調に大きくなって色変わりを続けている。                  「死ぬなよ。立派に育てよ」と、祈るような毎日が続いている。

どこやらからのメールに

ああ荒野~湿度80%気温29℃の9月に 光の国へ もう、まもなく夜が明けます。 きっと、まもなくです。 未来に まだ未来に挑む時間は残されています。 どんな小さなことでも、想像力を駆使して、日々精進あるのみです。 朝焼け うっすらと闇が開けていく、もうそんな頃合いです。 今、あなたは、その背に多くの人の喜びと重荷を背負う覚悟を忘れてはいませんか? こんなメールが、ふと自分を失いかけた瞬間にさりげなく届く。1年に一度ぐらいだろうか。 心がじんわりと安らぎ、苛立ちや怒りや苦しみや悩みが、ささやかにだが、スーッと束の間泡のように消えていくのが解る。 それがいい。 いったいどこの誰がこんなメールをくれるのだろう? それは考えないようにしている。何でもあからさまにすることはない。謎のベールが、その価値を高めることもあるのだから。 でも、でも・・・。 本当は、全部解っているんだ。 危うくなったときに、危うくなろうとしているときに、何とか自分を助ける力になるのは、 唯一自分だけだということを。 もう一人の自分が、もう一人の自分に、そっと出してみるメール。 真っ新な気持ちで、それを読んでみることができるなら、まだまだ私は壊れてはいないと、信じられるというものだ・・・。

夏の終わりに~印象的だった2人の男たち その②

この夏、私にとって何と言っても印象的だったのは、8月8日に発表された今上天皇のお言葉だった。 「・・・日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごしてきました。・・・」 という初めの言葉に、そのご意志が溢れ滲み出てくるように、300万人の命が犠牲となった先の大戦を踏まえて、天皇ご自身が絶えず国民と共にあり、自らを律し、平和を希求して止まない姿勢が満ち溢れていたのである。 今上天皇は、平和を願って、これまでも、そして今も、さらには未来に向かっても、闘っておられるのだと、改めて思い知らされたお言葉だった。 それは、偶像崇拝を忌避して、自らを個とする象徴天皇の務めを果たし、国民のみならず万民の平和を願う孤高の闘いを背負う男の姿と、私には思えてならなかった。 その務めを万難を排してやり抜き続けるために、敢えて高齢・健康に言及された「生前退位」や「自らの喪儀」にまで及ぶお言葉だったのである。覚悟に裏付けられているからこそ、それは感動的ですらあったと言えよう。 「・・・憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのようなときにも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話いたしました。国民の理解を得られることを、切に願っています」 翻って今、国政において対米追従のしっぽ振りによって権力の座にある政治家たちの多くには、どんな言葉で自身を飾ろうとも、これだけの信念・信義・覚悟は、垣間見られない。その場しのぎの詭弁とええかっこしいがあるだけだ。 この夏、私は、今上天皇のお言葉によって、改めて「孤高の闘い」の真の意味と美しさまでを教えられた気がする。